●昨年、ピアノ独奏によるベートーヴェン:交響曲第7番をリリースして衝撃のCDデビューを飾った田尻洋一。演奏者自身の編曲の巧みさ、面白さに加え、ライブならではの壮絶な迫力に満ちた演奏を収めたCDは、各方面で高く評価されました。
●今回リリースする作品は、前作とは対照的に、深く、静かに沈潜していく祈りの音楽。コロナ禍のために、ほぼすべての演奏会がキャンセルとなった田尻洋一が、ひとりステージに立ち、J.S.バッハ作品との対話をつづけるという、まさに清冽な空気感あふれる作品となっています。
●録音は2020年7月、兵庫県立文化センターにおいて、無観客ライブの形で行われました。即興性を重視したライブこそが音楽の真髄と語る田尻ですが、この姿勢は録音においても変わることがなく、何度も演奏した中で、よいテイクのみをつないで完成させるセッション録音とは無縁の、まさに一期一会の貴重な演奏を記録したものとなっています。
●悠然として揺るぐことのないテンポ設定、あえて装飾音をできるかぎり使わず、バッハが描く音の原風景に回帰していくような演奏は、予測困難な時代に生きる私たちへ向けての、深い癒しにみちた贈りものと言えます。
●ライナーノートは、田尻自身が執筆しており、このCD作品への思いを込めた文章が掲載されています。以下はその抜粋です。
〜(前略)ただ、そのパッセージに宿る人間の細やかで奥深い感情のひだ、いわば、作曲家の喜怒哀楽のようなものを淡々と表現していくだけです。この作品から穏やかにこみあげてくる生きることへの喜び、人の愛情に触れたときの心からの微笑み、からだ全体を包み込んでくれる大自然への安堵感、甘酸っぱい思い出と儚い想い、涙がこぼれそうな哀しみ、そして何よりも敬虔な祈り……、バッハの奥深い感情の流れを感じとる作業に終わりはありません。彼の曲に向き合うたびに生まれる新しい発見、それを音に表すことが、わたしにとって無常の喜びです。バッハの筆致を追いながら、彼のほとばしる感情の流れを現代のピアノでどのように表現するか。そのようなことを思いながらお聴きいただければと思います。